2025年9月4日(木)、トゥール・ドナ作《ダンス》(La danse)は、10月4日(土)から2026年1月11日(日)までベルギー・アントワープ王立美術館で開催される巡回展「ドナ、アーキペンコ、そしてセクション・ドール:魅惑のモダニスム」への出品のため、当館を出発いたしました。

 

 

 

アントワープ王立美術館外観©Fille Roelants

(ライトアップも美しいアントワープ王立美術館は、ルーベンスやアンソールなどのフランドル絵画の宝庫である)

 

王立美術館の展覧会を終了後は、2月7日(土)から5月17日(日)まではドイツ・ザールラント美術館の現代ギャラリーでも展示される予定です。

 

 

本巡回展への参加のきっかけは、2023年4月にベルギー・イトルのマルテ・ドナ美術館キュレーター、マルセル・ダロゼ氏から届いた一通の問い合わせメールでした。のちに、このダロゼ氏に当館に本作が所蔵されていることを伝えたのが、筑波大学名誉教授・五十殿(おむか)利治氏であったことがわかります。

 

その後、五十殿教授と当館館長が面会した際、教授はマルテ・ドナ財団の理事長であり、美術史研究家・著述家でもあるぺーター・パウヴェル氏の著書を読み、あらためて本作の美術史的な位置づけと、ベルギー側に知らせる意義を強く感じたことを語ってくださいました。

 

(ぺーター・パウヴェル著『マルテ・ドナ 前衛芸術の女流作家』)

 

 

マルテ・ドナ美術館の図録用に当館所蔵作品の画像を貸し出してからしばらくして、財団のぺーター・パウヴェル氏、そして今回の展覧会会場のひとつであるアントワープ王立美術館のキュレーターから連絡が入りました。その後のやりとりを通じて、私たちはこれまで知ることのなかった、等身大のマルテ・ドナの人物像や、《ダンス》という作品に込められた背景について学ぶ機会を得ることができました。

 

(ベルギー・ゲントにあるマルテ・ドナ美術館の図録『ジュネーヴのマルテ・ドナ 芸術家の出現』)

 

当館、そして日本では男性名「トゥール・ドナ」で知られていたマルテ・ドナ(1885年10月26日〜1967年1月31日)は、ベルギー出身の抽象・キュビスム画家であり、ヨーロッパにおいてはモダニズムを代表する重要な芸術家のひとりとして知られています。

 

(アトリエのマルテ・ドナ)

 

 

アントワープの厳格な家庭に育ったマルテ・ドナは、幼い頃から芸術的な才能を垣間見せていましたが、父親の反対によりその活動は制限されていました。1914年、第一次世界大戦の勃発を機に親元を離れたドナは、ダブリンに渡り、ステンドグラスの制作に携わります。この経験は、後に彼女がキュビスムの形態と鮮やかな色彩を融合させた独自の作風を築くうえで、大きな影響を与えたとされています。

1916年、イースター蜂起をきっかけにダブリンを離れたドナは、パリへと移り、そこでキュビスムと出会います。アンドレ・ロートに師事したのち、絵画教師としての職を得てニースに移住。そこで、彫刻絵画で知られるウクライナ出身の彫刻家、アレクサンダー・アーキペンコと出会うことになります。

 

 

(当館もアーキペンコの彫刻を所蔵する。《前に向って》(1947年制作、680×250×80mm)

 

 

 

彼らはアーキペンコのニースの邸宅の離れにあるアトリエで共に制作活動を行い、芸術的な協働と個人的な親しさが重なり合う、充実した時間を過ごしました。第一次世界大戦後のキュビスム・グループ「セクション・ドール」も共に牽引します。

また、「トゥール」という男性名をアーティストネームとして用いたのも、彼との協働の中で生まれた選択でした。当時、女性画家が正当に評価されにくかった前衛芸術界において、作品を平等に受け止めてもらうための戦略であり、アーキペンコの助言によるものです。

 

(アーキペンコ(最前列中央)とその後ろのマルテ・ドナ 芸術家仲間との集合写真)

 

 

ふたりの協働はわずか2年足らずでしたが、その短い期間に幾つかの傑作が生まれています。そのひとつが《ダンス》です。

 

 

 

当時すでに著名な彫刻家だったアーキペンコとテーマを共有していたこともあり、《ダンス》は『デア・シュトゥルム(嵐)』をはじめとするヨーロッパの前衛雑誌で繰り返し紹介されました。1920年には、同名のベルリンのギャラリーで、雑誌の創始者ヘルヴァルト・ヴァルデンの妻ネリー・ロスルンドとの二人展を開催し、ドナのキャリアはまさに頂点を迎えます。

 

この時期に展示された《ダンス》を含む一連の絵画は、1917〜1919年に制作されたもので、驚くほどの統一感を備えています。ドナが、ヨーロッパの前衛芸術を一時的にでも統合し得る水準に到達するため、どれほど熱心に研究を重ねていたかを物語る作品群です。

 

その後、アーキペンコと別れた彼女はベルギーに戻りますが、前衛芸術が受け入れられにくかった当地では具象絵画に専念するようになります。さらに結婚と出産を経て、晩年まで長く絵画制作から離れていたため、現存するキュビスム作品はたいへん貴重です。ベルギーのマルテ・ドナ財団による評価額60万ユーロ(2025年9月現在、約1億円)にも、その芸術的価値がよく表れています。

 

こうした背景をふまえ、今回の巡回展では《ダンス》が展覧会の中心作品として位置づけられています。

 

《ダンス》は、来年6月に当館へ帰館する予定です。

その後、皆様にご鑑賞いただける日が訪れるかもしれません。 その時を、どうぞ楽しみにお待ちください。

 

 

(本年5月には、交流を目的として、ベルギーよりアントワープ王立美術館の理事長、館長、そして今回の展覧会の担当キュレーターが来館され、当館の山内理事長、伊藤館長、ならびに企画展作家であった大津英敏氏との懇談の機会が設けられました)